政治学史

政治学史は政治学の歴史を指し示す用語であり、また政治学の理論の変遷、学説の歴史及びその歴史的背景を対象とする、政治学の一分野です。政治学の諸分野でも特に政治哲学・政治思想の歴史を扱う場合は、政治思想史とも呼ばれます。

初期のキリスト教と政治理論

イエスの死が神の自己犠牲であり、その前提として人間の原罪を設定することによって成立したキリスト教は、政治社会に特徴的な関わりをもった。キリスト教の特徴としては、まず古典古代のギリシャ・ローマの人間観が基本的に能力の調和的発展を理想としていたのに対し、キリスト教の人間観は調和が失われ、分裂的であり、原罪を背負う矛盾に満ちた存在として捉えていたことである。人間はこのような堕落から自力では逃れようがないのであるが、ただ神の慈愛を受け入れ、それを信仰する生活に入れば罪から解放されるとされた。キリスト教においては現世は信仰ほど重要なものではなく、現世の政治は信仰とは基本的に無関係であると考えられた。しかしキリスト教の教会組織は「最終的手段」(ultima ratio)としての暴力装置を持たなかったのにも関わらず、一個の政治社会であった。教会は現実社会に対して強固な統制力を持っていたが、その根拠は決定的に思想・信仰にあった[5]。

◯原始教会(パウロ)
キリスト教民族宗教としてのユダヤ教の限界を超え、普遍宗教として成立するのに貢献したのがパウロであった。パウロは現世と信仰を区別し、ローマ皇帝などの権威は神によって存在しているとしながらも、その政治権力自体に価値があるわけではないとした。キリスト教徒がこれらの権威に服するのは良心という最高の価値に従うからであると述べた。

◯両剣論
ローマ帝国においてキリスト教が国教とされると、世俗の権力と教会の関係が徐々に大きな問題となった。これを説明する理論として両剣論(theory of two swords)が現れた。剣とは権威を意味し、5世紀末の教皇ゲラシウス1世が教義の問題で皇帝と対立したときに作り出された。この考えによれば、皇帝は物質的な剣(gladius materialis)を持つが、教皇は精神的な剣(gladius spiritualis)を持っており、ともに神から別々に下されたものであり対等である。この2つの権力は相補的な性質を持っており、皇帝は永遠の生命のために司教を必要とし、司教はこの世の秩序を維持するために皇帝の力を必要とすると述べた。ここに現実社会は皇帝の支配する世俗の帝国と教皇を頂点とする教会に二分されて把握され、それぞれ固有の法(ローマ法とカノン法)を持ち、それぞれ固有の行政組織・裁判権を持つと主張された。

◯教父哲学(アウグスティヌス)
中世の政治思想に大きく影響を与えたのが、アウグスティヌスとその著作『神の国』(413年-426年)である。この著作は、当時北方からのゲルマン民族の侵入によって危機を迎えていたローマ帝国で発生したキリスト教批判に反駁する内容である。彼は現実世界を「地の国」とし、その世界はいずれ崩壊するもので、永遠の「神の国」とは本質的には異なるとした。そのうえで「神の国」は「地の国」と重なり合って歴史を構成しているが、その地上に現れている「神の国」はキリスト教信者の共同体であって、しかも教会と同義ではないとしている。アウグスティヌスは教会も基本的には「地の国」の政治社会に過ぎないと述べるが、それを通じて「神の国」に入るという意味では教会のほかに救いはないとした。アウグスティヌスキケロの正義論を引用しつつ、キケロのいう正義は信仰なしには存在せず、現実のローマ帝国が没落していくのは正義を欠いているためだと結論づけた。

 

参照元ウィキペディア政治学史