政治学史

政治学史は政治学の歴史を指し示す用語であり、また政治学の理論の変遷、学説の歴史及びその歴史的背景を対象とする、政治学の一分野です。政治学の諸分野でも特に政治哲学・政治思想の歴史を扱う場合は、政治思想史とも呼ばれます。

古典古代(ギリシャ・ローマ)

古代のギリシャやローマ(古典古代)においては、ポリス(polis)やキウィタス(civitas)という特異な政治社会が形成されていた。ポリスやキウィタスを当時のそれ以外の政治社会と区別する特徴としては、スパルタのリュクルゴスやアテナイのソロン、ローマにおける十二表法の成立などに見られる、政治が制度によって問題解決されるものという意識が存在したことであった[2]。リュクルゴスやソロンは「立法者」(nomothet?s)と呼ばれ、今日で言えば憲法に当たる法律を制定し、法制を敷くことで現実の社会構造の変化に政治社会を対応させ、かつ専制を抑制する機能を果たした。一方で、ポリスやキウィタスといった政治社会は実際には特殊であるにもかかわらず、普遍性をもって捉えられ、このような社会を必然化し永続的なものであると捉える傾向も存在した。
この時代を代表する哲学者としてはプラトンアリストテレスが有名であるが、この2人の間の政治思想と方法論の相違と対立は、そのまま現代の政治学の方法論においても当てはまる[3]。

プラトン
ギリシャの哲学者プラトンの著作は数多いが、その中で『国家(ポリテイア)』は政治を直接問題としている。ただし『ポリテイア』が対象とする政治社会は前述したポリス社会であり、近代的な政治社会とは異なっている。プラトンは、国の制度というものが人間を育てるものであると述べ、よい国制がよい人間を、悪い国制が悪い人間を育てるとして、よい国制について論じている。プラトンは、よい国制は各自の能力によってその階級を決め、適切な位置に適切な人材を配置することによって実現できると述べており、したがって結果的には個人を不平等に扱うものである。しかしプラトンは、性差による不平等については批判を加え、女性であっても能力さえあれば軍人になってもかまわないと述べた。またプラトンは、軍人や統治者などの支配身分に属する者は私有財産を持ってはならず、共有しなければいけないと述べた。これは支配身分が公共性を持たなければならないことを主張するもので、支配身分の者は1:1の結婚生活も許されず、支配身分の者から産まれた子供は親子関係も明らかにされずに国家の共有財産とされるべきことを主張した。このような政治社会の頂点に立って管理するのは、国家の教育者としての哲学者であるべしという哲人王思想を述べた。

アリストテレス
アリストテレスプラトンの政治論を、きわめて非現実的であり経験に基づいていないと批判した。彼によれば、国制においては政治制度をどのように運用していくかという観点が重視されねばならず、プラトンのように理想の政治社会から現実の国制を改変するのではなく、現実の政治社会から理想の国制を展開していくべきであった。国制はその追求する目的によって決定される善悪と支配者の数によって形態が決定されると述べ、それによって国制を大きく6つに分類した。アリストテレスは人口や風土、国民性などから適合的な国制を研究していくべきだと考えていた。またアリストテレスは「政治人」(z?on politikon, homo politics)という人間観を示し、人間は必然的に政治社会を生きると述べた[4]。

 

参照元ウィキペディア政治学史