政治学史

政治学史は政治学の歴史を指し示す用語であり、また政治学の理論の変遷、学説の歴史及びその歴史的背景を対象とする、政治学の一分野です。政治学の諸分野でも特に政治哲学・政治思想の歴史を扱う場合は、政治思想史とも呼ばれます。

現代政治学の展開 - 合理的選択理論

1950年代以降、行動科学政治学か主流となる一方で経済学の方法論を政治学に導入することを端緒として、これまでとはまったく異なるアプローチが登場した。それらを総称して合理的選択理論と呼ぶ。合理的選択理論に共通する特徴は、ミクロ経済学のいくつかの仮定を受け入れるということである。すなわち合理的選択理論において政治現象は、自己の利益・効用を最大化しようと行動する政治的アクターの相互作用の総体となる。これはアクターの合理性仮定ともいわれる。同時に合理的選択理論は個々のアクターの選択に焦点を当て、その選択の帰結として政治現象を説明する。つまり、方法論的個人主義に立脚した理論である。アクターの合理性仮定と方法論的個人主義は、程度の差はあれ合理的選択理論に共通する大前提である。このような前提に立ってマクロの政治過程をミクロの観点から分析する、或いはマクロの政治現象にミクロによる基礎付けを行う理論として発生した。このミクロ的分析視角を体系的に確立したというのは、合理的選択理論の斬新な点であった。また他の方法論的特徴としてはフォーマル・セオリーによる手法、すなわち演繹主義が挙げられる。合理的選択理論に立つ論者は理論やモデルを構築し、その正当性を検証するために実際の事例やデータを用いてきた。このことは、行動科学政治学の帰納的アプローチとは対照的である。こうした特徴から、合理的選択理論のモデルとしては数理モデルがよく用いられる。戦略的状況の下でのアクターの意思決定を分析するゲーム理論を政治学に導入したのも、合理的選択理論の系譜である。
他方経済学においては非市場的意思決定の研究が既に行われていた。第二次世界大戦後発達した公共経済学の分野がそれに当たる。他の経済学における研究は後に合理的選択理論のうちでも特に社会的選択理論と呼ばれる分野に結実した。いわゆる集合的意思決定に関する研究であり、その1つの記念碑的研究の成果がアローの一般可能性定理である。アローの研究は『社会的選択と個人的評価』(Social Choice and Individual Values,1951)に纏められている。
政治学における合理的選択理論の先駆となる研究は、ブラックによりなされた。ブラックは社会的選択理論の研究を行う一方、選挙における有権者や政党を研究対象とし中位投票者理論を構築した。しかし、合理的選択理論を政治学において確立する契機となったといえるのはダウンズとその著書『民主主義の経済理論』[15](1957)である。ダウンズはブラックらの議論を空間モデル(一次元空間モデル)などを駆使して精緻化し、体系付けた。これ以降、有権者・政治家・政党・議会(立法府)・行政府・官僚等の政治的アクターの分析が本格化した。
ブキャナンとタロックによる『公共選択の理論-合意の経済論理』[16](1962)以降の研究は、これまでのケインズ経済学、及びケインズの理論に立脚する経済政策の正当性に疑問を投げかけるものであった。すなわち市場の失敗の解決や公共財の供給のためには政府の介入が必要とされ、実際に政府の介入により効率的な資源分配、公共財の供給が行われるという見解が従来の主流であった。また不景気の際に政府が市場への介入、具体的には政府支出を増大させる財政政策をとることが解決策になるという主張が一般的であった。ブキャナンらは財政学の視点を交えて政治過程における多様なアクターの相互作用を分析した結果、政府による介入がかえって非効率につながり効果が得られない場合があることを明らかにした[17]。
この他の合理的選択理論の知見としては、集合行為論が挙げられる。オルソンは著書『集合行為論』[18](1965)でアクターの合理性を仮定した場合、どのように集団が形成されるかを明らかにした。これ以降、集合行為や公共財の供給におけるフリーライディングなどの問題が政治学の場で正面から扱われるようになった。またライカーは『政治的連立の理論』[19](1962)でゲーム理論を政治学の分析に応用した先駆者となった。このようにライカーはゲーム理論をはじめとしてフォーマル・セオリー[20]を使い合理的選択理論を精緻化、ほぼ完成に導いた。ライカーは合理的選択理論をベースとした実証政治理論(Positive Political Theory)の創始者とも看做されている。
現在では合理的選択理論は公式・非公式の様々な制度の分析、及び制度とアクターの相互作用の分析に取り組んでいる。これがいわゆる合理的選択新制度論(合理的選択制度論)である。

 

参照元ウィキペディア政治学史